あなたとあなたのご家族がお健やかであられますように
2013年04月04日
感謝の気持ちで受け止める
失語症発症後も、泣くことはあっても笑顔を忘れなかった愛しの妻です。
そして覚悟して一日一日を過ごしていた愛しの妻です。
他界(聖和)後も、「可哀想に見えれば見える程感謝すれば大きな力になる。」と私の心に語ってくれた愛しの妻です。
どういう事態に直面しても、「全て許して上げて」と私の心を癒やしてくれる愛しの妻です。
どんなことがあっても私も全て感謝で受け止めて、比較ではなく、私が果たすべき使命と責任を果たして行きます。
2013年04月03日
時間の密度
愛しの妻と過ごす時間は感覚的には微かでも、霊的感性においては密度が濃いです。
愛しの妻の地上生活の全てが込められた時間だからだと私には感じられます。
私が地上で果たさなければならない責任の重さを誰よりも良く知っているのが妻です。
妻とじっくり相談し、一つ一つ手を打って行きます。
愛しの妻が大好きです。愛しています。何度言っても言い足りません。
2013年04月02日
玄関先の桜並木
我が家の玄関先から桜並木が見えます。
先月末近くの朝、撮ったものですが、近くの神社への参道が桜並木になっています。
我が家の玄関先からは上から眺望できます。
遠くの方ですので、この光景は愛しの妻もよくは見ていなかったかもしれません。
今は私の目を使って一緒に見ています。
愛しの妻が大好きです。愛しています。
2013年04月01日
「来年の桜」
昨年の桜の見頃の時、愛しの妻は入院中のリハビリテーション病院で熱を出し、外出ができませんでした。
熱が下がって外出できるようになった時には桜は散っていました。
「また来年見ようね。」と私は妻に語り掛けたように思います。
愛しの妻の地上生活には「来年」はありませんでした。
今朝の通勤途上は、桜の綺麗な道を私が選んで通って、助手席の長男と後部座席の両親と4人で桜を堪能しました。
私が去年のあの時、妻に見せたかった桜を見て回わりながら勤務先に到着しました。
愛しの妻は今年は私の目を使って、父や母や長男や私の話を聞きながら、微笑んで私と一緒に桜を眺めていました。
「ほらあそこにも。こっちにも。」と私に指さして教えてくれます。
私の運転の妨げにならないように、車が進む方向ばかりを示してくれます。
愛しの妻の心遣いが嬉しいです。思いやり深い妻です。
愛しの妻が大好きです。愛しています。
2013年03月31日
追憶と希望の桜
愛しの妻が生前(地上生活の時)干し物の折などに間違いなく眺めたであろう桜が今年も満開です。
自宅のベランダから見下ろせる美しい桜です。
妻が他界(聖和)して夫としての私は最高の被写体をなくした気持ちでした。
最近、自然の中に妻の美しさを見る思いがして、美しい写真を撮りたいと思うようになりました。
妻と喜びを分かち合えるように思います。
愛しの妻が大好きです。愛しています。