勤務先からの帰路の車中「母と聴くベートーヴェンの交響曲」は今日が最後で交響曲第9番ニ短調作品125「合唱付き」でした。
この曲は長いので、昨日の交響曲第8番の後交響曲第9番の第1楽章は既に流してありました。
今日は第2楽章から始まり父と母に住むマンションに着いた頃殆ど終わりました。
人の声が加わると表現力が格段と増します。
加えて大勢の人達の整然とした合唱による昂揚感は素晴らしいものがあるのを改めて感じました。
第1楽章からフィナーレに至るまでの「長い道程」を期待感を次第に高めて引っ張って行き、その期待を裏切らない歓呼の終結を迎えるエネルギーの高さを感じます。
母もじっくり聴けたと思います。父も時折耳を傾けている様子です。
交響曲は通常4楽章形式ですが、第1楽章が印象的な曲でもそれにバランスを取れる程の出来映えの最終楽章を創るのはかなり難しいことのようです。
ベートーヴェンが交響曲第9番の最終楽章に独唱者4人と大合唱団を配したのは、優れた声はそれ程最高の表現力を持った「楽器」であるということなのだと思います。
----------以下引用です
「善なる人とは犠牲になる人であり、愛を誘発させる人である。」(文鮮明師『御旨の道』P280)
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