先日私の叔父(私の父の弟)が他界しましたが、私の祖母(父や叔父の母)は36歳で幼い叔父や叔母を残して他界していました。
その祖母が他界する少し前に病院に腎臓の病で入院していましたが、叔父が赤痢に罹って絶望視されたのを知って、自ら一時退院して幼い叔父の看病にあたりました。
祖母の看病の甲斐があって叔父は命を取り留めました。
父はその時祖母が「自分の命と引き替えにこの子(叔父のこと)の命を助けて下さい。」と祈っていたのを聞いたそうです。
父はその時中学生の頃だったようですが、母の愛がどんなに強いものか今でもはっきり覚えていると語ります。
祖母は叔父が命を取り留めたのを見届けて病院に戻りましたが、家族は医師から「(もう助からないから)退院して自宅で養生するように。」と説得されて引き取りました。
祖母は祈り通りに自宅に戻ってまもなく臨終を迎えたようです。
叔父や叔母は祖母のことは全く覚えていないようです。祖母の祈りを知っていたのは私の父だけだったようです。
従って祖母の祈りは叔父の子供達(私の従弟妹達)にも伝えられてはいませんでした。
最近私が父から聞いて、叔父の葬儀の後、従弟妹達に伝えました。
私も私の母には大人になるまで何でも話して来たのを思い出します。
私はどんな時でも母だけは自分の味方だと信じて疑わず、事実母もその通りに期待に応えてくれました。
母の愛の偉大さを身に染みて感じます。
そしてそういう母親と思春期を迎える前に死別した、私の家内と私の父親の、共通の事情を持つ二人の気持ちを推し量りますと、家内のお袋さんや祖母(父の母)の気持ちが痛いように伝わって来るのを感じます。
----------以下引用です
「原理で伝道するのは愛を探す運動である。」(文鮮明師『御旨の道』P436)