以来、自営業者の妻として舅に仕え、従業員の三度の食事の準備にと休むことなく働きました。小舅(父の弟)と小姑(父の妹)も一人ずついました。
父方の祖母は叔母を産んで1、2年で他界しましたから、早く母親をなくした叔父と叔母は寂しい日々を送っていたようです。
母が雑巾掛けをしていると、当時精神的に荒れた義理の弟(私の父の弟)にバケツを蹴飛ばされたといいます。
小舅・小姑も結婚して別所帯となり、従業員の昼食を給食センターに依頼するようになり、従業員も所帯をもって独立するようになり、最後に残った住み込みの独身従業員が都合で退職して、母が家族以外の食事の支度から解放された時、母は既に70歳になろうとしていたと思います。
そんな母に、「人が見るものではなく、神様への手紙だから、願い事を書いて。」と告げて、統一教の「天運相続 祈願書」を明日渡そうと思います。
遠い記憶はしっかりあるのに近い記憶が定かでないことを自覚して悩む母が、その様々な思いを感謝も含めて神様にお手紙する機会になることを願う次第です。
------------以下引用です
「祈りは誠を集中させること。」(文鮮明師『御旨の道』P471)