歴史を繙けば、人生で思うようにならないことに遭遇して、多くの人が立ち尽くして来ました。自分自身がそういう立場に立つ時、誰しもその歴史的な重みを感じることでしょう。
人間の観点では分からないこともあるのかも知れません。神様はどう見ていらっしゃるのかに関心を持ちます。神観・信仰観・人生観・人生体験と信仰体験等々、持てる全てを動員して事態を受け止めて対処しようとします。
人生の悲劇性(思うようにならないこと)と折り合いを付けることについてhttp://sjichiro.info/article/129357105.htmlは現代の心理学でも重要なテーマになっているようです。
私はと言えば、神様(と父母様)のことを片時も忘れず、生きていたいです。息子が背負う重荷も妻が背負う重荷も背負いたいです。そして何が明らかになるのかを目撃したいと思います。その時必ず希望があります。
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「苦難を受けても落ち着きなさい。窮地におかれても慌ててはいけない。」(文鮮明師『御旨の道』P176)